♪国際化♪(オーストラリアのバザースト高校・インスブルック市ヴィルテンから北京へと…) | |
#040 1996年(H08) |
共立から地域へ、そして世界へ 1996年(H8)6月のある日、一神(一ツ橋・神保町)町会の役員から1本の電話が入った。 「8月30日、桜通りで一神町会主催の納涼夏祭りをやっているのだけれど、共立高校の吹奏楽部に演奏をお願いできないだろうか?」 生徒部を通して校長の判断を受け、協力することになった。地元地域の行事に参加できることは学園にとってもいいことだし、部にとっても発表の場が増えるのはいいことである。夕刻から始まった演奏には多くの人が集まってきた。地域にある企業も参加し模擬店がたくさん出ていて、みなさん笑顔で楽しんでいる。部員も飲み物などの差し入れをいただいた。片付けの後、部員たちも模擬店を楽しんでいた。地元、足元大切にしなくては…。 |
#041 1996年(H08) |
音楽って偉大だ!! 1996年10月2日、オーストラリアからの留学生アリスンの母校、バザースト高校の吹奏楽部とダンス部が来校した。午前中、授業を外れて、講堂で合同練習を行った。あらかじめ楽譜を送りあって練習しておいたので練習はスムーズに進んだ。バザースト高校の指揮者ジョンソン先生はトランペット吹きのようだ。私が指揮する『オリンピック・スピリッツ』は先生も演奏に加わり楽しそうに吹いていた。彼らはピックアップメンバーでジャズバンドを編成し、コンテストでも優秀な成績を収めているとのこと。実にパワフルな音だった。 会議室に移動して行われた交流会では部員・生徒会・洋舞研究部など多くの生徒でいっぱいだったが、あちこちで笑い声があがりみな楽しそうであった。一緒に演奏しただけでこんなにも親しくなれるなんて、音楽は偉大だ。 |
#042 1996年(H08) |
110周年も吹奏楽だ! 1996年10月、早いもので100周年行事からあっという間に10年が過ぎてしまった。今回もまた、行事に参加できることになった。前回同様、委嘱作品『夢を未来に』が作曲され、吹奏楽用に編曲し披露した。講堂ステージ前の座席を取り外し、オケピットにし、吹奏楽部がスタンバイした。 壇上には石橋義夫学園長はじめ中国提携校からの来賓が並んだ。式典は厳粛に滞りなく終了した。 体育館で行われたレセプションでは、中国からの来賓に過分なお褒めの言葉をいただき、中国での演奏も依頼された。このときは、外交辞令と感じていたのだが…。 1997年(H9)3月、共立へ勤務以来、お世話になった校長の岡田精助先生がご退職された。 先生が何かの時にお話しされた言葉が忘れられない。 「栗チャン、何事もパイオニアはいろいろ言われるものだ。でも苦労してやり遂げれば、後に続く者にとって楽になるし、いつかは喜ばれるよ。」 1999年、北京への演奏旅行のあと、ふっとこの言葉が思い出された。先生、ありがとうございました。 |
#043 1997年(H09) |
ほんとに女の子? 1997年(H9)4月、大野哲夫先生が校長に就任された。 9月、石橋学園長から急に呼ばれた。学園長室へ入ると、10月にオーストリア・インスブルック市民吹奏楽団が初来日するとのこと。ついては、学園の芸術鑑賞行事として演奏会を開催したい。合同演奏会を企画するようにとの指示があった。1部は共立吹奏楽部のウェルカムコンサート、2部は彼らヴィルテンのウィンナ・ワルツ、3部は合同演奏でマーチ2曲。 10月11日、彼らの宿泊している目黒の雅叙園ホテルへ近藤先生とともに出向いた。練習しているホールへ入ると、そこはオーストリア。独特のリズムにのった演奏に身が震えた。曲が終わると、椅子の下からビールを取り出し飲んでいる。 打ち合わせの担当者もグラスを片手に、「これが彼らの流儀。先生もどうぞ。」小さな樽を肩からかけた美しい女性がそばに来て、小さなグラスに樽の中の透明な液体を注ぎ入れた。飲めというので口に入れて驚いた。強い。彼らはこんな強い酒を飲みながら楽しそうに演奏している。いつの間にか、ビール片手に私も近藤先生も旅気分。 本番当日、午前中のリハーサル、共立はコンクールの2曲を演奏した。自由曲は和太鼓が活躍する『メトセラ2』。小さな女の子のパワフルな演奏に、舞台袖から見て、聞いていた彼らの目が真剣になった。 合同演奏では大きな彼らの体にはさまれながらも音は立派に存在を主張していた。(驚いた事に、彼らは本番中も椅子の下にビールを忍ばせ飲んでいた) |
#044 1998年(H10) |
1年に3回も中国へ… 1998年5月3日、大野校長と近藤・栗田の3名は成田にいた。北京大学の創立100周年記念式典への出席を兼ねた学園の中国研修旅行にメンバーとして参加できた。中国は初めてであった。幸いにも世界史の近藤先生、中国に大変造詣の深い大野校長が一緒なので心強かった。旅は10日間、学園の各部署からの参加者も多く、有意義な時間が過ぎていった。北京大学の未名湖のほとりを散策中の石橋学園長との会話の中に、吹奏楽部の海外演奏のことなどが話題に上がった。また、大日坂幼稚園の園長先生から園児に演奏を聞かせて欲しいとの依頼も受けた。いろいろ実りの多い研修であった。 8月合宿から帰ってきて玄関で学園長にお会いした。乗り込んだ車の窓を開けて、一言。 「合宿か?ご苦労さん。栗田君、この子たち連れて中国行くか?」 いきなりの言葉に、「ありがとうございます。そうできれば嬉しいですね。」 10月、大野校長とともに学園長室に呼ばれた。北京大学附属中学との合同演奏会ができそうだ。こちら側の準備をしておくように。12月には北京へ行って打ち合わせをすることになるだろうとのこと…。 12月17日、大野校長・近藤・大川・栗田の4名は北京に向かっていた。 『夢は、希望は強く持つものだ。こうしたい、こうなりたいを口にして努力しているといいことがあるもんだ。』 1999年3月19日、大野校長を団長とする引率5名・通訳2名・部員75名は成田を発った。 写真は1999年3月20日、北京大附属中学管楽団との合同演奏会 北京演奏旅行訪問記はこちらから |
#045 1998年(H10) |
都の真中、一ツ橋 1998年6月ころであったか、大野校長が1通の手紙とテープを持ってきた。年配の卒業生からきたのだという。テープには雰囲気のある声で歌が吹き込まれていた。 『都のまなか、一ツ橋』と歌われているメロディーは軍歌調でもあり、悲しくも聞こえた。 大野校長曰く、高女時代の校歌だという。譜面を起こして、10月に行われる"高女・高校60周年誌出版記念祝賀会"で披露したいという。この曲のほかに、職業学校校歌・学園学生歌(この曲も譜面がなく歌を知っている先生に歌ってもらうとみな、微妙に違っていた)・高校共立音頭・応援歌・学生歌など、9月から毎晩9時・10時まで残って編曲した。 10月30日、如水会館で行われた祝賀会にはOGで編成されたバンドが幻のメロディーを演奏した。高校同窓会副会長の桂由美さんも大きな声で歌っていた。 ![]() |
#046 1998年(H10) |
サンタ・クリータ? 北京への打ち合わせ準備にあわただしく過ごしていた12月15日、大日坂幼稚園はにぎやかな園児の声が響いていた。園長先生との約束とおり園児に音楽のクリスマスプレゼント。『ディズニー・メドレー』から『トトロ』まで、お母さんたちには『恋人がサンタクロース』をと、大サービスの白いおひげのサンタ・クリータ。部員も見たことない姿にニヤニヤ。 |
#047 2000年(H12) |
2000年も吹奏楽で #047:2000年も吹奏楽で 2000年問題で揺れた正月。学園新年会が8日、東京プリンスホテルで行われた。前年の北京演奏旅行では、学園・後援会から多額な援助をしていただいた。その後援会から新年会で北京の報告をということで、北京へ行ったOG1年生を中心にOGバンドを編成し,北京で演奏した曲を披露した。大川先生が編集したVTRも流し、成果を報告した。 |
#048 2000年(H12) |
先生、どうして怒らないの? 2000年8月、合宿から帰っての学校での練習。いつもの体育館はない。5階の教室で練習していた。夜、携帯が鳴って聞こえた部員の言葉。『先生、どうして怒らないの?』 22名の3年生が残り、2・3年生で編成されたA組は近年ないくらいバランスがよかった。課題曲は沖縄風メロディー、自由曲はジャズアンサンブル。久々に合宿に猪俣先生をお招きし、ジャズのリズム講座と演奏で部員には体で感じてもらった。管セクションは早稲田のハイソに行ったOGの平田さんを特別コーチにし、奏法のレッスンをしてもらった。部員はドンドン吸収していった。 ![]() 「なぜ怒らないかって、みんな順調に進んでいるじゃないか。3年生がたくさんいるっていいね。」 11日、本番、縁のある玉川学園の演奏の次、ジャズのリズムにのった演奏に審査員も会場も楽しんでいた。演奏後、会場を包んだどよめきは…。 結果は『金賞』。10年ぶりだった。みんな泣いていた。共立サウンドに酔えた日だった。 審査員の講評に「音楽はこうでなくちゃ。楽しくなくちゃ。」と。 ![]() |
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