♪北京に響いた 「共創未来・求同存異」♪ | |
アンコールの「スプリング・マーチ」が終わった。ステージの上では泣いている生徒がいる。握手している者、握りあった手を高くあげている者など両校の生徒のさわやかな笑顔がいっぱい。北京大学附属中学(中高一貫6年制)管楽団と共立女子高等学校吹奏楽部との合同演奏会が1999年3月21日(日)北京市海淀区にある海淀劇院で行われた。 1996年、共立女子学園と北京大学との間に姉妹校としての協定が結ばれ、その年に行われた本学園の創立110周年行事には北京大学から来賓が出席し、また、昨年5月の北京大学創立100周年記念行事には本学園も参加した。この様な経緯を経て、学生・生徒間の交流がこのほど実現し、吹奏楽部の派遣となり、合同演奏会が実現した。 附中管楽団は1991年に中国中学管楽団の模範校として設立され、国内でのコンクールや香港・台湾などの演奏会にも積極的に参加し、中国のリーダー的な存在として活動している。 写真はバンド・ジャーナル1999年7月号にこの訪中記事が掲載 ![]() 3月19日、北京に到着。翌20日、北大附中の体育館に入ると、中国中央テレビ(CCTV)の取材カメラの眩しいライトに迎えられた。そこでは両校メンバーの紹介と合同練習が行われた。 まず、附中の練習が行われ、次に本校の演奏になった。中国では女子のみのバンドの音はめずらしいらしく、附中指揮者の周藍先生や団員の視線を背中に感じた。「序曲・祝典」の演奏が終わると大きな拍手が起きた。今回の選曲は、昨年12月、打合せのために附中を訪問したとき、管楽団のライブラリーを見て決定した。中国の吹奏楽事情は1960年代の日本の印象を受けたので、1970年代の作品から1曲選曲した。そのあと、「アッピア街道の松」を演奏した。演奏が終わると、周先生が「中国では、プロのオーケストラが最近やっとレスピーギに取り組み始めたところだ。」と言ってきた。 演奏会のアンコールにと中国ヒットチャート?1の『チュー二一ピンアン』を歌と吹奏楽用にアレンジして用意した。この曲の演奏に附中の団員みなが大きな声で一緒に歌ってくれた。楽譜は附中と周先生にプレゼントしてきた。合同演奏の準備をしているとき、周先生は通訳を通して次のように印象を伝えてきた。「中国の子供たちの演奏は、それぞれの楽器の音が別々に聴こえてくる。共立の音は、全体がひとつの楽器のように聴こえてくる。」 合同練習では両校の生徒が交互に並び、一つの楽譜を見ている。1曲目の「北京喜訊至辺寨」は、毛沢東の教えが北京から中国全土に浸透していったということを表現している曲だという。早いテンポのフレーズに共立の生徒は必死で周先生の指揮についていく。 午後のパート別交流会では、生徒たちのコミュニケーション能力の高さに驚かされた。片言の英語と漢字の筆談で楽しく過ごしていた。 ![]() 附中の団員は約80名、中学生がやや多い。中国では一人っ子政策のためか、音楽・舞踊・勉強など幼い時期から相当の時間をかけて習い事をしている。附中の団員も小学校3・4年から楽器の個人レッスンを受けている者が多かった。 21日(日)午後3時、海淀劇院はほぼ満員になった。演奏会はそれぞれ相手国の国歌演奏から始まり、両校の生徒たちは日頃の練習の成果を充分に発揮し、その演奏は会場を大きな感動で包んだ。その日の晩餐会では北京大学および附中の趙校長ら関係者から、団員の進学対策と課外活動との両立や活動予算処置など、日本の学校の状況を熱心に質問された。私も、本校の活動状況や吹奏楽連盟の組織活動など日本の吹奏楽事情を説明した。 ![]() 22日は午前中の観光に続き、放課後は附中の課外活動を見学した。舞踊団(中国ジュニアのトップ)の素晴らしいダンスは忘れられない。23日のさよならパーティーでは管楽団のメンバーたちと楽しく餃子を作り、美味しい食事と楽しいアトラクションに時がたつのも忘れてしまっていた。周先生がピアノで蛍の光を演奏し始めた。突然、「チューニーピンアンを歌おう」との声で、全員、涙ながらの合唱となった。 通訳の李先生が「この歌の意味わかりますか。今のご気分はいかがですか。あなたのご無事をお祈りします。という内容で今のこの雰囲気にピッタリの曲ですね。」と。ホテルに戻り、21日の演奏会の様子がCCTV21時のニュース枠内で報道されたのを部員たちと共に部屋のTVで見た。 ![]() 最後に、今回の演奏会を通して、個人の能力を発掘し育成していく中国の教育環境と集団活動として高い能力を示す日本との違いを滞在中のさまざまな場面で実感した。互いの違いを認めあいながら同じ道を求め【求同存異】、日中の若者が協力して素晴らしい音楽を作り上げた【共創未来】ことは、21世紀に向けて両校生徒の心のなかに忘れがたい感動と確かな実績を残したと確信する。 |
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